子どもがいない人生である私の今
子どもがいない人生である私の今から
振り返って書きたくなりました。
長くなりますが、よかったらお付き合いくださいね^^
私は今年(2018年)49才になります。
夫とは私が43才で再婚し
直ぐに不妊治療を開始しました。
前の結婚では32才の時
不妊治療を経験しましたが
子どもを授かることはありませんでした。
私自身が子どもが好きで
33才の時は母親としてと言うより
一緒に成長したいなぁ
と言う思いが強かったことと
当時の夫との関係が
上手くいかなくて
そんな中でも子どもが欲しかった
好きなのに大切なのに
上手くいかない
それは苦しくて悲しくて
もがいても時を重ねても
ずっと終わらない世界で
今想えば
そんなときに不妊治療を試みても
心も体もボロボロだったんだろうな
と思います。
今の私がそこに居たら
一緒に抱き合いながら
泣いてただろうな
もがいて もがいて
何も変わらなくて
苦しさと悲しみは
終わらない
ただそれから抜けたいのに
それが出来ないことが判るからこそ
止まれなくて
止まるのは死ぬときだ と
そう思わないと
心が壊れていくような気がして居たんだと想います
たぶんもう
耐えきれなくなって
自由になりたい と
離婚を選び
その後 9年目に再婚しました。
離婚って
パワーがいるよって言う人も居るけど
私には
鎖でがんじがらめにされていた私が
鎖がバラバラに切れて
開放されたようでした
すべて
私の観念と完璧主義が
自分の首を締め付けていったんだと
薄々感じながらも
認めたくは無かったんですね。
誰かの何かのせいにするほうが
楽だった。
自分を可哀想に扱うほうが
自分を大切に出来ている と
思っていたんでしょう。
それらも心理学やセラピーを学び
体感していくまで
気づけず
理解できずにいました。
それくらいに
今の私は どうなっているのか?を
丁寧に向き合い認識しするのをしなかった。
33才の時
子どもが欲しかったのは
もちろん子どもが可愛くて大好きで有る事と
現実を今を足元を
見せてくれる体験を
無意識に求めていたのかも知れないな
と思います。
43才で再婚したとき
子どもが欲しい と感じたのは
旦那さんの子どもと一緒に生きたい
旦那さんの遺伝子を持った子どもが欲しい と
思ったからです。
旦那さんも、子どもが大好きで
小さい子どもを目にする度に
一瞬にして優しい満面の笑顔になる
その顔が大好きで
この人の
この笑顔をたくさん見たいなあ と
思ったからです。
現実は私はその時43歳。
いろんなことを調べて
その度に、ネガティブもポジティブも
様々な情報に翻弄されていましたね。
どうにもならないこと には
人は必ず不安を抱える
これは、当たり前なんだ、
と今なら納得できますがね(笑)
43才からの不妊治療は
どこでも出来る と言うわけではなくて
病院によっては年齢制限を設けていて
その事実も辛かった1つでもありますが
私の場合は再婚して直ぐの不妊治療を
理解して貰えなかったことも
ストレスだったんでしょう。
周りの人々は
いろんなアドバイスをしてくれますが
それがこちらの事情を理解できていなくて
お節介や 大きなお世話が殆どでした。
心ない言葉と私が捉えるような発言もあって
ここでも身心が疲弊して
ストレス過多だったのだと思います。
先日私の姿をみて
おめでたですか?と声を掛けて貰い
いえいえ地腹ですよ(笑)
と答えた途端に声を掛けてくれた方が
平謝りしてしまわれて
申し訳なかったなぁと。
2年前くらいの私なら
凄くショックで悲しくて腹立たしかっただろうな
と振り替えれますから
あ ちょっと乗り越えられた気がする!
と気づけるキッカケを貰い
自腹を勘違いしてくださった方に
改めて、感謝です(^^ )
…同時に、痩せよう、とも思いましたが。(笑)
勘違いされてしまう自分に気付いてないのも罪だなぁ、とも認識出来ました。
不妊治療を辞めてからもうすぐ2年になります。
46才を迎えたときに辞めたくなり
今に至ります。
それまでは
不妊治療をやりながら
いろんな人に場所に助けて頂きました。
同居のストレスも重なり
なかなか嫌なヤツだったかもしれません(苦笑)
その節は本当に申し訳ありませんでした。
カウンセラーをやっていても
同じ人間ですから
いろいろ やらかします。
誰にも可能性がありますが
自分のことは 全く判らない ことも多いのです。
今の私が
43才の私にあったら
倒れるまで愚痴を聞いていたと思います。
それくらい しんどかった。
旦那さんは そんな私を全部知っていて
それでも協力してくれました。
ときに児童相談所や養子縁組も
視野に入れて
いろいろ話を聞かせて貰ったりしました。
それもちゃんと向き合ってくれました。
だからこそ
ますます旦那さんの子どもが欲しくて。
タイムリミットとという
どうにも出来ない力に
抵抗しまくりましたが
やるだけ やらせて貰えた。
再婚を決めるときに
子どもをお互いにどうしたいか?を
かなり深く話し合いました。
お互いの思い
現実問題
高齢出産のリスクや
出生前診断や
タイムリミットや
再婚同士だから
そこまでは話せない と
言われたことまで話が出来たのは
ありがたかったです。
そして不妊治療は
否が応でも夫婦で向き合い
コミュニケーションを取らねばなりません。
真正面から向き合うのにも
勇気は必要だから
絆や愛おしさは深まったと思います。
少なくとも私は(笑)
今でも確かに
泣けることはあるけれど
そんな私の時もあっていいな
と思っています。
経験や体験は
無駄にもなるかも知れないけど
それを次の糧に変えれるのは
自分しかいないんです。
もう無駄したくない!
自分で何もかもやる!
そんな感じではなくて
糧に変える!と決断する
この決断と言う行動が
自分のために出来るのは
自分しかいない。
そこからの方法や状況は
自分で出来ることもあるけど
どうにもならない方が
実は多いのですね(^^ )
決断は
自由を作れるし
不自由にもなれます。
どちらも、自分が決めている。
子どもと暮らすと決めても
信じても
そうならないこともあります。
どうにもならないことを
受け入れられたから
私の場合は大人としての度量が
育ったのかも知れません。
今もこうして書いていても
時折涙し
子供がいる人生を想像します。
それを
しつこい、執着している とか
諦めきれていない、手放せていない とか
トラウマなんじゃない? とか
新しい人生を考えれば とか
いろいろ周りからは言われるまもしれませんが
そんな簡単に忘れることはできないし
この思いはなくなることはありません。
確かに
執着だろうし、手放せていない のだろうと思います
でもね
執着しても 手放せてなくても
そんな生き方もアリ と
私は思うんです。
それもすべて持ち合わせているのが
私 なんですから^^
それを嫌悪せず
そんな私も受容できる
今そう信頼できたことが
私は嬉しいです。
ようやく
前に進む気になったのかもしれませんね(^^ )
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